有馬温泉



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緑豊かな裏六甲にある有馬温泉の歴史は古く、「日本書紀」には舒明天皇、孝徳天皇も
訪れたとされ、太閣・豊臣秀吉も有馬温泉をたびたび訪れています。近年では秀吉の湯
殿跡も発見され、日本三名泉(日本の三大古湯)にも数えられるほど有名な温泉です。

泉質は含鉄強塩泉の金泉と呼ばれる赤褐色の湯と、無色のラジウム泉、炭酸泉、交互
につかってさら飲湯をすれば、万病に効能があるといわれています。

有馬は、春の桜、初夏の沙羅双樹、秋の紅葉、冬の六甲山の樹氷とアイスガーデンと呼
ばれる有馬四十八滝の氷滝など、四季を通じて見所がいっぱいです。

特に有馬は江戸時代から桜の名所として知られており、善福寺の樹齢270年のしだれ
桜、鼓ヶ滝公園の有明桜、有馬川沿いのソメイヨシノなど桜の名所がそろい、毎年4月
には桜まつりを開催しています。
 
有馬の歴史
有馬温泉の守護神として名高い[「湯泉神社」の縁起によれば、泉源を最初に発見した
のは、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の
二柱の神であったと記されています。この二神が有馬を訪れた時、三羽の傷ついたカラ
スが水たまりで水浴していました、
ところが数日でその傷が治っており、その水たまりが温泉であったと伝えられています。
 温泉のありかを教えてくれたこの三羽のカラスだけが有馬に住むことを許されたと伝え
られており、「有馬の三羽からす」と呼ばれています。

有馬温泉の存在が知られるようになったのは、第34代舒明天皇(593〜641年)、第36代
孝徳天皇(596〜654年)の頃からで両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名は一躍有
名になりました。日本書紀の「舒明記」には、舒明3(631)年9月19日から12月13日まで
の86日間舒明天皇が摂津の国有馬(原文は有間)温湯宮に立ち寄り入浴を楽しんだと
いう記述があり、それを裏付けています。

鎌倉時代
仁西上人が一二坊の宿を開いてからは温泉(外湯)を中心に周りの宿が開けていったよ
うである。(北の坊(兵衛)、池の坊、茅の坊、横の坊、中の坊、中蔵坊、奥の坊、尼崎
坊、角の坊、上大坊、下大坊、二階坊)その後、幾たびか河川の氾濫で有馬温泉は荒
廃したようである。

安土桃山時代
豊臣秀吉の登場で、河川の工事や泉源の保護をしたために、有馬温泉の宿が一二坊
から二十坊になり、さらには四十坊近くになったそうです。また秀吉は三木城兵糧攻め
の帰りに、有馬に立ち寄った記述があり、その際に泊まったところが、有野町にあり、今
も存在しています。その後も幾度と河川の氾濫、地震で有馬温泉も荒廃状態になるが秀
吉は再興させた。この時に湯山御殿を立てさせるが入ることはなかった。

江戸時代
やがて外湯の一の湯、二の湯を中心に発展するようになり、3段階の入浴規則があった
ようである。 一の湯、二の湯は湯泉神社に向かって左を一の湯、右を二の湯にしていた
ようで、一の湯は**坊、二の湯は**坊が入浴できる規則で合ったようです。浴槽は
それほど大きくはなく、一の湯と二の湯の間は板で仕切りをしていたそうです。3段階の
入浴規則の内一つは専用に入浴できる扱いで、二つ目が指定席みたいな物で入浴が約
束されており、三つ目はそれらの合間を縫って入る方法である。これは空き時間を知っ
ていなければ入浴はできなかった。

明治時代
一の湯、二の湯は普通温泉となり、宮殿風の建物で営業されることになる。泉源は現在
の本温泉女性浴室の熱い方のあたりから沸いていたようです。浴槽は家族風呂と普通
の浴槽から成り立ち、泉温は40度ぐらいで今よりかなり低かったようです。また近くに高
等温泉が現在の有馬バス停にあり、入浴料は普通温泉より少々高かったようです。 高
等温泉の泉源は普通温泉と共用で明治32年に六甲山鳴動があり40度の温泉が54度
まで上がり、湧出量も倍に増えたためです。高等温泉は家族風呂であったそうです。宮
殿風の普通温泉も立て替えになり洋風建物3階立てになったが、次の立て替えには宮
殿風の建物になったそうである。

大正時代
三田から有馬まで有馬軽便鉄道が開通し、所要時間1時間足らずで有馬に来ることが
できるようになった。有馬駅近く今の楽山付近にラジウム温泉(新温泉)ができる。この
建物は洋風3階の建物で大きな施設であった。昭和13年の水害で流出してしまうことに
なった。大正15年本温泉浴場を3階建てに改装し家族風呂を作り、高等温泉は廃止に
なる。

昭和〜現在
総合案内所からさくら銀行まで滝川の上をコンクリートで道を造った。そこが有馬温泉メ
インストリートとなり交通の要所となる。その後昭和13年の阪神水害により滝川が氾濫
し、、現楽山付近にあったラジウム温泉(新温泉)も流出してしまう等の大災害が発生し
てしまう事になり、昔からの面影を残す所も少なくなってきた。また炭酸浴場も老朽化の
ため昭和40年に取り壊し現在は炭酸泉公園になり、手軽に炭酸泉を味わうことができ、
湧出する泉源も見ることができる。炭酸泉は愛宕山より六甲山よりの地獄谷付近しか出
ないそうである。砂糖を入れて飲むと冷たくおいしそうである。炭酸泉公園の前にサイダ
ー工場があったが面影はなく、五社、籠坊なども昔はサイダーに関わる経緯があるが、
籠坊のみ温泉が今日まで楽しむことができる。 戦後、神戸市が泉源を掘り各旅館に分
配するようになり、外湯の温泉から各旅館に温泉施設を作るようになり、今のようなにぎ
やかな有馬温泉となる。本温泉も昭和35年に鉄筋3階立ての建物に変わり、現在の建
物が約40年を過ぎようとしています。


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